2012.9
vol.4
飽きない服
過日、先陣を切って行われた2013年春夏のサポートサーフェスコレクションに行った。会場は立ち見客でごった返す賑わい。ピアノに弦楽器を加えた奏者たちのライブをバックに登場したのは透き通るような淡色のドレス。深いギャザータックから流れる軽やかな布。優しく控えめなデザインの奥に凛とした姿がある。
デビューして10年。デザイナー研壁宣男さんが作り続けたのは手の技に支えられた丁寧な服だ。たくさんのクリエーターを輩出した80年代以降、世界のデザイナーは強くて新しい服を追いかけてきた。ファッションは新しさこそが命だった。サポートサーフェスが作ってきたのはその対極にある服だ。新しさを狙っているわけではないのに飽きさせない。薄いガラスコップのように脆そうなのだが弱くは無い。そのバランスの上に立つデザインがサポートサーフェスのドレスだ。
5年程前からだろうか。パリコレクションでも多くのデザイナーがヴィンテージ(伝統)やヘリテージ(遺産)を競い合うようになっている。
ファッションが「新しさ」を命題にする時代はもう終わったのかもしれない。
vol.3
時を超えた価値
2004年をピークにすべてが縮んでいる。内閣府調査によれば2004年、1億3000万人に迫った日本の人口は、その後は減少を続け、10年後には1億2000万人を割り込む。2050年には9500万人、2100年には3800万人になって明治維新前後の人口と並ぶことになる。
人の身体も縮んでいる。高校3年男子の平均身長も2004年の170,1センチをピークに、その後は低下を続けている。この百年、人は毎年1ミリほど背を伸ばしてきた。この調子で伸びれば500年後には3メートル近い巨人が跋扈することになる。背丈が縮み始めたのは人類が地球環境と折り合いをつける進化の知恵なのかもしれない。
身体が縮み、人口が縮み、寿命だけが伸びる。人口3800万人になった2100年の日本は高齢化率41%という世界に類例のない超高齢国となる。これは昨今の人間の浅知恵では如何ともしがたい事態なのだ。とはいえ別に悲観することではない。フランスの社会人類学者レヴィ・ストロークは「地球人口は30億人位が一番麗しかった。60億もの人間が犇(ひしめ)いている社会なんかに興味はない」と言い残して2009年に逝った。
私が30年続けてきたファッショントレンドへの関心度調査というのがある。1000人を超えるファッション業界のプロにパリコレクション発のシーズントレンドを紹介し、それへの関心を聞いたものだ。80年代後半から急速に高まってきた関心が「ある」「大いにある」と答えた人は2004年の94%をピークにその後は急速に減り、2012年春調査では48%と半数を割ってしまった。若者たちにファッション離れが進むのも当然のことだ。
トレンドが後退し市場は縮む。そこで思い出すのがカルチエCEOの言葉だ。「時を超えてなお価値のあるものを作る。我々の生き延びる道はそれしかない」。
vol.2
ニホンカワウソ絶滅に思う
ニホンカワウソが絶滅した。哺乳類の20%、両生類の30%近くが今世紀中には居なくなる、という報告もある。種の一つ、二つの消滅など、さしたるニュースではなかろう。
しかし、それが人間による乱開発のせいだとなると、話は別だ。生物多様性の大切が声高に言われている。その多様性を脅かしてきたのは人間の強欲だ。多様性を守るには強欲の自制が求められる。しかし、世の中が向かっているのは、その逆のようだ。野放図な利潤の追求が効率と効果ばかりを優先させる、ぎすぎすとした競争社会を作り出している。
文楽への補助金をカットし、交響楽団を廃止に追い込み、職員のタトゥーを監視する大阪の橋下知事が国政に乗り出す。橋下知事の目には文楽や楽団は効率を脅かす一部少数者の甘えと映るのだろう。そんな裁断を多数者が喝采する。なんとも寒々しい光景だ。
今、改めて思う。豊かさとは、多様な人が行き交う世の中にこそ由来するのではないか。教育界では、経済界の要請に応えた効率的で効果的な人間と社会を作るための改革が急ピッチで進められている。その狙いは効果的に動く効率的な人間の大量生産だ。
多様な社会とは「効率」では推し量れない「少数者」「弱者」への目配りと想像力が育てるもの。ニホンカワウソ絶滅の愚を繰り返してはならない。